あいにく彼岸は過ぎてしまいましたが、これもしょうがないこと。
家の食事等の買い物は、あらかじめ済ませておいたので、行動としては楽です。
当日は少し遅めの午前7時前に起床。
まずは前日のお土産の処理です。
キノコのイシヅキを取って冷凍の準備。
完了!
白菜も少し痛んできているので冷凍します。
完了!
なんとか冷凍庫に収めることができました。
今回はキノコと蒟蒻は家内の会社の同僚にお裾分けします。
午前10時前に出発。
まずは一番遠い村松へ。
この日は前日とは打って変わって気温が上昇!
村松に着く頃には10℃を超えました。
やはりお彼岸を過ぎているので、人影はありません。
お墓参りを済ませて次の場所へ。
途中、家内からスミレにアブラムシが発生したとの報告があったので、ホームセンターで害虫退治のスプレーを購入。
そして2番目のお墓に到着。
さあ!次のお墓へ!
そして最後のお墓です。
この頃には、更に気温は上昇し17℃に……
車に乗っていると暑さを感じるくらいでした。
途中、昼食を食べて全てのお墓参りを終え、帰宅したのは、午後1時30分前でした。
令和6年の春のお彼岸のお墓参りも、無事に終えることができました。
次はお盆かな?
群馬の従姉妹の家て植物を見た時に、大量の根詰まりした鉢を発見。
従姉妹に植え替えを促したところ、何月にやればいいの?
と、聞かれたので、5月に入ってからで良いと思う、と答えたところ、じゃあ5月に待っているね……
思案中です。
今日の星座!
「ケフェウス座」
秋の星座で略符はCep。
古代エチオピアの王ケフェウスの姿を表した星座です。
王妃カシオペヤを表したカシオペヤ座の隣に位置する星座で、カシオペヤの奥には娘のアンドロメダを表したアンドロメダ座が見えます。
日本では、ほぼ一年中見ることができる星座です。
※今日3月26日は、
「鉄幹忌」
です。
歌人・詩人で与謝野晶子の夫・与謝野鉄幹(よさの てっかん)の1935年(昭和10年)の忌日。
自身が創刊した雑誌『冬柏』の名にちなんで「冬柏忌」とも呼ばれています。
1873年(明治6年)2月26日に現在の京都府京都市左京区に生まれる。本名は寛(ひろし)。父・礼厳は西本願寺支院・願成寺の僧侶。幼くして仏典・漢籍・国書を学び、早くから天才児とうたわれていました。
1892年(明治25年)に上京し、落合直文に師事する。1899年(明治32年)に東京新詩社を創設。
翌年に文芸誌『明星』を創刊・主宰する。北原白秋、吉井勇、石川啄木らを見い出し、ロマン主義運動の中心的な役割を果たします。
1919年(大正8年)に慶應義塾大学文学部教授に就任。水上滝太郎、佐藤春夫、堀口大学、三木露風、小島政二郎らを育てる。気管支カタルがもとで同大学病院で死去。62歳でした。
作品には詩歌集『東西南北』(1896年)、『天地玄黄』(1897年)、『鉄幹子』『紫』(1901年)、歌集『相聞(あいぎこえ)』(1910年)、訳詩集『リラの花』(1914年)などがあります。
※令和5年度新潟大学卒業式が3月25日、新潟市中央区の朱鷺メッセで執り行われ、卒業生、修了生合わせて2956名の巣立ちを祝いました。
新潟大学は娘の母校。
卒業から早いもので10年以上が経過。
その時は家内と2人、卒業式に同席させて頂きました。
何か遠い昔のようですね……
今日の1日が、皆さんにとりまして、最良の日となりますように