今年もまた、3月11日がやって来ました。
東日本大震災が起きた11年前の3月11日。
2011年3月11日 午後2時46分
マグニチュード9.0
最大震度7の大地震が、東日本を襲い沢山の人達が犠牲になりました。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
そしていまだに見つかっていない人も数多くいます。
その当時、自分は道路工事の監督として現場におりましたが、長い時間揺れていた事を今でも覚えています。
直後に現場事務所に戻ってテレビをつけ、事の重大さを知りました。
後日マスメディアによるヘリコプターでの空撮映像を見ながら、もっとやることがあるのでは?と思ったりもしました。
東北の太平洋側の津波被害。
原子力発電所の被災による水素爆発。
その後の民主党政権のゴタゴタ。
悪いことが重なって、事態の進展は見えませんでした。
自衛隊やアメリカ海兵隊他、沢山の人達による救助、支援活動や、行方不明者の捜索活動。
日頃、自衛隊に対して辛口の発言をしている人達もは、そんな時は何も発言をしませんでした。
簡易銭湯を設営しても隊員達は入る事はせず、トラックの荷台で身体をふくのみ。
炊き出しの食べ物には手を付けず、冷たいカンパン等の簡易食料。
自衛隊員の中にも、家族が被災したにも関わらず、一言も口には出さないで救助活動を続けた人もいたと言われています。
むかし、吉田茂元首相が、終戦から12年が経った戦後復興の中、1957年に防衛大学第1期生に向けた言葉です。
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〝君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、歓迎されたりすることなく自衛隊を終わるかも知れない。
非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
ご苦労なことだと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されチヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。
言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。
しっかり頼むよ。″
死者は前年から1人増えて1万5900人(災害関連死を除く)、行方不明者は3人減って2523人だった。
新たに判明した死者は、昨年2月に宮城県東松島市で遺体が見つかり、翌月身元が特定された女性(当時61歳)。
他に岩手、宮城両県で見つかっていた2遺体の身元が特定された。
今も身元が分からない遺体は岩手で47体、宮城で6体あり、両県警が特定作業を続けている。
主な津波被害
防潮堤の高さの変化
ロシアとウクライナが戦争をしている現在。
この先、どうなって行くのかはいまだに先が見えない状況です。
この戦争による犠牲者が、少しでも少なくて済むよう願うと共に、周辺諸国や友好国の協力、及びロシア•ウクライナ間の話し合いより、一日も早い停戦、終戦になってほしいと思います。
今日の一日が、皆さんにとりまして、最良の日となりますように。