少し早いですが、2024年、令和6年を振り返ってみました。
元旦に起きた能登半島地震(のとはんとうじしん)は、2024年(令和6年)1月1日16時10分(JST)に、日本の石川県の能登半島地下16 km、鳳珠郡穴水町の北東42 kmの珠洲市内で発生した内陸地殻内地震です。
地震の規模はМ7.6で、輪島市と羽咋郡志賀町で最大震度7を観測しました。
現在もなかなか復興が進まず、また大雨による避難所の浸水等があり現地の人達にはつらい一年になったと思います。
我が家でも自分達の部屋の観葉植物が倒れるという被害(?)にあっています。
6月の大凧合戦には、埼玉県に住む妹夫婦が久しぶりに遊びに来てくれました。
近くのホテルに宿をとり、毎日、両親の顔を見に来てくれました。
そして夜には、長男の勤めている場所での宴会。
とても楽しかったです。
8月には長年見ていたプラズマテレビが壊れてしまいました。
新しいテレビを購入するかどうか悩みましたが、プロジェクターを設置することに決定!
自分達の寝ている部屋には80インチのスクリーンを概に設置していたので、少し大きな100インチの電動スクリーンを家内と一緒に取り付けました。
そして今年もブルーベリーが到着。
ブルーベリー酒を作りました。
新婚旅行に行った娘たちからのお土産。
10月の24日には、仙台に住む姪っ子に2人目になる赤ちゃんが誕生しました。
11月には福島からさわし柿が到着。
冷凍して今も食べています。
12月に入り叔母の死去、そして告別式への参列。
来年の1月18日に49日法要が行われる予定になっています。
告別式の時に頂いたコンニャクやキノコ。
知人にお裾分けをし、家内はシメジご飯を作ったみたいです。
そして、神奈川県の従姪(じゅうてつ)(従兄弟の子供)からの贈り物。
福島の妹夫婦から自家製キムチと干し柿。
そのほかにも、家内の友人からたくさんのいただき物がありました。
最後に一年を通して長岡市に住む従兄弟からもたくさん頂きました。
今年も大勢の方々に支えられた一年だったと思います。
ありがとうございました。
このブログも5年目に入り、何を投稿しようか悩むこともありますが、毎日投稿できるよう情報収集のアンテナを張っていたいと思っています。
また、飽きもせずに毎日覗いてくれる方々、本当にありがとうございます。
この令和6年……
皆さんにとってはどんな一年だったでしょうか?
今日の雑学!
貼り絵で有名な山下清は、旅先ではなく家に帰ってから絵を描いていた?
山下清は、1922年、東京府東京市浅草区田中町(現・東京都台東区日堤)に生まれました。
翌年、東京大震災によって家が焼失してしまい、両親の故郷である新潟県に移住します。
3歳のころに風邪が悪化して重症化。
重度のい消化不良に陥りかかり生死の境を彷徨います。
一命はとりとめましたが、命の危険にさらされ、この病で軽い言語障害と知的障害の後遺症が残ってしまいます。
ドラマでは風景などを見ながらその場で描いているような描写がありましたが、実際は家に帰ってから制作していたようです。清がこのような驚異的な記憶力を持っていたのは、知的障害のある人にまれに起こるという「サヴァン症候群」だったからではないかといわれています。
花火がとりわけ好きだった清は、長岡や諏訪など全国の花火大会に足を運び、そのときの情景や感動をそのまま作品に残しました。
ミリ単位でちぎられた色紙を点描絵画のように貼り合わせ、複雑な色合いを表現しています。実際に目にすると、その細やかさや迫力に驚く人も多いでしょう。
※今日12月19日は
「日本人初飛行の日」
です。
1910年(明治43年)のこの日、陸軍軍人の徳川好敏(とくがわ よしとし)と日野熊蔵(ひの くまぞう)が、“公式の初飛行を目的とした記録会”において動力付きの飛行機でそれぞれ飛行に成功しました。
日本人で初めてとなる飛行が成功したのは、東京の代々木錬兵場(現:代々木公園)です。
この飛行が成功したことにちなんで、代々木公園には1974年(昭和49年)12月に「日本初飛行の地」という石碑が建てられました。
今日の1日が、皆さんにとりまして、最良の日となりますように